⑪鈴木商店下関支店
鈴木商店関門一大コンビナートの司令塔
明治36(1903)年、大里製糖所の設立を機に門司・大里への進出を果たした鈴木商店は、明治40(1907)年、同製糖所を大日本製糖へ売却、その売却益を元に事業の多角化に乗り出した。
鈴木商店の地元神戸では、直営事業所および神戸製鋼所を軌道に乗せ、門司・下関では一大コンビナートの建設に着手した。明治40(1907)年、関門地区での鈴木商店の拠点となる門司支店を門司市小森江桟橋前に設けた。責任者には金子と同郷・土佐出身の西岡貞太郎を当て、西岡の下には若き金子三次郎を配した。
関門での事業が拡大すると門司支店の建物が手狭となったため、大正2(1913)年12月、下関市観音崎町5丁目1に支店を移した。下関支店では、門司地区の製糖、製粉、麦酒、酒精、製塩の事業のほか、神戸製鋼所伸銅品製造、日本冶金のフィラメント製造、下関地区の化学工業、非鉄精錬、炭坑事業を統括した。
鈴木商店創業者・初代岩治郎友人の金次郎が経営する「亀の甲煎餅・江戸金」が近くに店を構えていた。