④城山済美寮

江戸川乱歩も独身社員時代に暮らした独身寮

業容の拡大に伴い、人員も徐々に増えたことから造船所裏の高台の鳥羽城址北側の城山(現・城山公園)に独身寮「城山済美寮」を設けた。大山祗神社に通じる位置にあった。

三重県名張出身の推理作家・江戸川乱歩(本名 平井太郎)は、大正6(1917)年、鳥羽造船所に就職しているが、入社当時は未だ独身寮が無かったため、造船所内の「社員クラブ」にて生活をスタート、その後知人宅に下宿の後、大正7(1918)年11月に新築の済美寮に転居したとの記録が残されている。

なお、済美寮の名称は、大正6(1917)年に制定された鈴木商店例規集の「済美会」規定に基づき、鈴木商店の社宅、関係会社の宿舎(社宅)、福利施設に関して「済美寮命名の件」と題する通達が出されたことに由来している。播磨造船所が創設した幼稚園にも「済美幼稚園」の名称を冠している。

  

関連資料

  • 城山公園
  • 鳥羽造船所時代の乱歩(本名・平井太郎、後列中央)、前列中央は、小田嶋修三
  • 乱歩のスケッチ

TOP