⑤鳥羽造船所・社員クラブ
応急福利厚生施設として設けられた社員クラブ
鈴木商店が本格的に鳥羽造船所の再建に乗り出した大正6 (1917)年、電機事業をスタートして発電機の開発に着手。この当時には、未だ独身寮も完備しておらず、わずかに造船所に隣接する城山の中腹に「社員クラブ」が設けられているのみであった。同施設には、宿泊所、休憩所、食堂、娯楽室などが設けられ、当時の日本の企業の福利厚生として最先端を行くものであったと当時の地元の新聞(伊勢新聞)にも取り上げられた。
同年に知人の紹介で入社した平井太郎(後の江戸川乱歩)は、独身寮「済美寮」ができるまで、「社員クラブ」2階に寝泊まりしてサラリーマン生活を始めたと記している。