①鳥羽城跡
海賊大名と呼ばれた九鬼嘉隆が築城した海城
戦国時代、九鬼水軍の将として名高い九鬼嘉隆は、織田信長の下で鉄甲船を率いて毛利水軍を破るなど軍功を挙げ、その功績により鳥羽の地を賜った。信長亡き後、豊臣秀吉の臣下となった嘉隆は文禄3(1594)年に鳥羽城を築いた。大手門が海側へ突き出して築かれ周囲を海に囲まれた唯一の城であることから「海城」とも「浮き城」とも云われた。また、魚類を保護するために、城の建物の海側は黒色、山側は白色に塗られていたので「錦(二色、にしき)城」とも呼ばれていた。
江戸時代には、鳥羽藩の藩庁が置かれ、譜代の内藤忠重が城主となったが、その後、土井―松平―板倉―戸田と藩主は目まぐるしく変わった。享保10(1725)年に稲垣昭賢が藩主となってようやく安定し、幕末まで8代にわたり稲垣氏の時代が続いた。また度々天災に遭い、安政大地震(1854年)では天守は倒壊、修理されないまま明治維新を迎え、明治4(1871)年廃城となった。城の建物は破却され、堀は埋め立てられるなど大きく姿を変えた。現在、本丸や武家屋敷の周囲に残る石垣が、当時の様子を留めている。
本丸跡の南面下には、昭和4(1929)年、御木本幸吉の出資により旧鳥羽小学校(明治6(1873)年創立)が建てられた。 当時では珍しいアールデコ風鉄筋コンクリート造3階建ての校舎で、その正面には、漁業の町・鳥羽を象徴するイカリをシンボルとした校章が掲げられていた。平成22(2010)年、登録有形文化財に指定された。(下記の関連資料「鳥羽城郭ライン」の本丸跡①の南隣の矢印の位置) なお、 現在の鳥羽小学校は、近鉄鳥羽線「池の浦駅」に近い堅神町に移転して いる。
また山麓側の武家屋敷跡には、城山公園、鳥羽市役所、旧鳥羽幼稚園等が設けられた。なお、これらの鳥羽城跡は昭和40(1965)年、三重県指定史跡に指定された。