④日本拓殖

不動産、製糖、製茶と多角事業を展開 

鈴木商店は、大正8(1919)年台湾支店長・平高寅太郎を発起人総代として「日本拓殖株式会社」を新竹州中墱郡中墱庄石頭(現在の桃園市中壢区)に設立した。設立時の資本金は1,000万円、株主は鈴木商店関係者、島内有力者等770名が名を連ねている。

鈴木商店関係者では、鈴木岩治郎を始め、金子直吉、柳田富士松、藤田謙一、平高寅太郎のほか下坂藤太郎も設立時の株主に加わっている。設立時の経営陣は、鈴木岩治郎が社長に、元宜蘭庁長の小松吉久を専務に迎え、取締役には地元有力者の他、藤田謙一、平高寅太郎が就任した。

日本拓殖は、鈴木商店桃園農場の事業を引き継ぐ形で発足、事業内容は ①土地経営 ②製糖業 ③製茶業の三本柱でスタートしたが、事業は、次第に土地経営に注力して行く。

日本拓殖は、鈴木破綻後も小松吉久専務により事業は継続され、やがて現地台湾有力者による経営となり第18期(昭和12.2.1~昭和13.1.31)まで存続した。

関連資料

  • 日本拓殖第一回営業報告書
  • 旧新竹庁舎
  • 台湾支店長・平高寅太郎

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