太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史⑨
"いざなぎ景気" 以降の特殊鋼需要の伸長を背景に成長を続ける
昭和37(1962)年以降、昭和40(1965)年まで世界のモリブデン鉱石消費量は鉱石生産量を上回り、世界的な鉱石不足に陥った。このため、太陽鉱工の東京支店では通産省重工業局の指導の下で、率先して業界(同業各社および日本フェロアロイ協会)に協力を求め、結束してモリブデン鉱石の共同輸入などに当たることができる態勢づくりを進めた。
その結果昭和37(1962)年4月10日、日本フェロアロイ協会に当時のモリブデン生産者である日本鋼管(現・JFEスチール)、昭和電工、東芝電興(現・クアーズテック)、粟村鉱業所(現・日本新金属)、東化工、岡崎鑛産物、そして太陽鉱工の7社が集結し、「日本モリブデン輸入鉱石懇話会」が発足した。事務局は日本フェロアロイ協会内に置かれ、会長には東芝電興の武山取締役が就任した。
昭和39(1964)年4月22日、日本モリブデン輸入鉱石懇話会はそれまでの原料部会に製品部会を加えて「日本モリブデン懇話会」に改称・改組し、以後はモリブデンの需給調整を第一義とし、そのためにモリブデン鉱山の共同調査、モリブデン鉱石の共同買付、協同融通を行うなどモリブデン業界の向上発展を目指して運営された。その後、同懇話会には中原工業所、日本新金属、日本電気冶金と東邦電化が合併して設立された日本電工(現・新日本電工)、妙中鉱業が加盟し、加盟メーカーは11社を数えた。
昭和39(1964)年3月23日、太陽鉱工では鈴木治雄、松岡俊一が常務取締役に就任。昭和41(1966)年5月28日、定時株主総会において高畑薫幸が取締役に就任した。また昭和43(1968)年5月29日、定時株主総会において金月弘、西川栄一が取締役に就任した。
昭和39(1964)年6月6日、日本モリブデン懇話会は第1回の海外鉱石調査団をアメリカ、カナダへ派遣した。調査団の構成は業界4社、取扱商社4社の計8社、8名で、調査団長には太陽鉱工の鈴木治雄常務が選ばれ、アマックス社のマグレガー社長との会見をはじめ、デュバル・サルファー社、アマックス社、カナダのエンダコ・マインズ社の各鉱山を視察し、さらにワシントンで米国鉱山局の担当者と面会し長期的なモリブデン需要の見通しを把握し帰国の途についた。
昭和40(1965)年6月3日、含バナジウム重油灰(重油燃焼滓)を原料にバナジウムを抽出し五酸化バナジウムを生産する工場として伊予工場(愛媛県伊予市灘町)が竣工した。工場敷地は、子会社の伊予窯業に隣接した8,170㎡を伊予市より買収したもので、ロータリーキルン(回転式の高温焼成装置)、溶融炉などの設備のほか、公害防止面から廃液浄化装置と集塵装置にも重点が置かれた。
昭和40(1965)年以降、ベトナム戦争の激化による軍需の急激な高まり等により、わが国のモリブデン業界は深刻な供給不足に陥るが、日本モリブデン懇話会の尽力によりこれらの困難を乗り越え、昭和42(1967)年にはカナダのエンダコ社に続き、米国・アマックス社、南米チリのアナコンダ社との長期契約が締結され、鉱石の輸入は順調な軌道に乗り始めた。
昭和40(1965)年秋から昭和45(1970)年にかけて続いた「いざなぎ景気」とベトナム戦争特需の恩恵を受けて鉄鋼業界の生産量は急激に伸長し、昭和44(1969)年にはわが国は西ドイツを抜いて世界第1位の鉄鋼輸出国となる。
超高層ビルの建設ラッシュや長大橋の建設、自動車産業の伸長などに支えられて、特殊鋼は普通鋼以上の伸びを示し、とりわけステンレス部門では昭和45(1970)年にアメリカを抜いて世界最大のステンレス生産国となった。また、モリブデンの消費量は構造用合金鋼、ステンレス鋼などの伸長とともにかつてない拡大を見せた。
昭和40(1965)年のわが国のモリブデン消費量がフェロモリブデン1,190トン、モリブデン・ブリケット類3,249トン、合計4,439トンであるのに対し、昭和45(1970)年にはフェロモリブデン3,773トン、モリブデン・ブリケット類10,246トン、合計14,019トンと5年間で3倍以上に拡大した。
太陽鉱工において昭和40年代の10年間に最も目覚ましく伸長した製品は昭和37(1962)年に発売した前記のモリブデン・クリンカーで、生産量は昭和40(1965)年の364トンから昭和43(1968)年には1,000トン台となり、さらに最大の生産実績をあげた昭和48(1973)年には2,675トンを記録した。この間、赤穂工場ではフル操業でもなお需要をまかないきれず、相次いで設備増強(*)を強力に進めていった。
(*) 焙焼炉4基増設(計17基に)、脱硫回転炉の大型化、モリブデン・ブリケット連続成型機の新設、鉄合金工場の新設(後記、仙台工場の赤穂工場への統合に伴うもの)、アルミ合金工場の増設(アルミジルコニウムの生産を主眼としたもの)、レニウム(元素記号Re 原子番号75。硫化モリブデン中に微量存在する)回収装置の新設、分析装置の機械化、公害対策設備の増設など。
同社の仙台工場は昭和35(1960)年にフェロモリブデン、フェロバナジウムなどの主力製品の生産を赤穂工場に移管した後、フェロチタン、フェロチタンボロン、フェロボロンなどの生産に従事してきたが、これらは採算ベースに乗り難い小需要の品目であったため生産を赤穂工場に移管し、昭和43(1968)年11月30日に閉鎖され30年余の歴史に幕を下ろした。