東京毛織・大井工場(東京・大井町)
品川区大井1-35-1、3 JR大井町駅近くの「ホテルルートイン品川大井町」横一帯に古いレンガ塀、土台の一部が残る。東京毛織の煉瓦造り工場の一部の名残。
・東京毛織が誕生する以前の明治末、後に大井町駅となる地域に鉄道を挟んで、西側には「後藤毛織」、東側には「東京製絨・品川工場」が操業していた。大正6年、東洋毛織(旧・後藤毛織)、東京製絨、東京毛織物の3社合併により、新生・東京毛織が誕生すると、品川工場は、旧・後藤毛織の工場に集約され大井工場として再出発された。東京製絨工場跡地は、立会尋常高等小学校に変わった。
・東京毛織・大井工場は、大井町駅西口前に煉瓦造りの広大な工場、倉庫群を備え、数本の大煙突から白煙、黒煙が立ち込め、付近一帯は毛織物の匂いが漂い、輪転機の音響が昼夜間断なく聞こえ、工場の旺盛な様子を物語っていた。恰も海外の工場地帯を歩く気分がすると「大井町誌(大正12年発行)」に記され、東京毛織は、大井町発展の鍵を握っているとされた。
・最盛期には東京毛織・大井工場には、2000人もの女工さんが働いていた。
・大正末から戦前まで大井町駅周辺には、東京毛織のほか、真崎鉛筆(現・三菱鉛筆・現在は本社ビルのみ)、東京電気(現・東芝・現在の東芝病院)、日本光学(現・ニコン/現存)の工場群が操業していた。
・東京毛織はカネボウに引き継がれた。 (品川観光協会)