羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑤「採炭方法・採炭機械の進歩」

最先端の採炭方法・採炭機械を導入

羽幌炭砿は、昭和25(1950)年の長期スト終結後は一貫して合理化と技術革新の道を歩んでいったが、それは採炭方法・採炭機械の進歩にも如実に表れている。創業時からしばらく続いた、炭層を無計画に掘り進む「狸掘り(たぬきぼり)」から始まり、昭和43(1968)年に完全機械化となる「自走枠・ホーベル採炭」の実現に至るまで、常に最先端の採炭方法・採炭機械を導入していった。

①昭和22(1947)年に「長壁式採炭法」(ロング採炭法)を開始
「長壁式採炭法」は、100m~200m以上にも達する長い採炭面(切羽(きりは))をつくり、それを一様に採炭しながら掘進してく方法で、炭柱(炭層を区切った一部)を残すことがなく効率的で、自然発火も少ない。この頃から、圧縮空気により作動するピストンの衝撃で炭壁を崩すコールピックなどの採炭機械が導入され、採炭面を長くとれるこの採炭方法の下で出炭量は上昇カーブを描いていった。               

②昭和26(1951)年に「鉄柱カッペ採炭」を開始
「カッペ」とは、切羽の天盤(天井部分)を支持するため、収縮可能な鉄柱と組み合わせて使用される連結式の金属製の(はり)である。「鉄柱カッペ」の使用により採炭機械の移動が円滑になり、採炭効率が飛躍的に向上するとともに坑木の使用量が大幅に減少した。この頃から、炭層を大量に切削できる各種コールカッター(*1)の使用が始まり、各種コンベアー(採掘した石炭を連続的に運ぶ運搬機)(*2)の導入と相まって出炭量の増加に大きく寄与した。

(*1) ジブ(動力部から突き出している腕)の周囲に刃のついた鎖を走行させるジブカッター(シングル、ダブル)、刃のついたドラムを回転させるドラムカッタ―、矩形状に炭層を切削するラーメンカッターなど。

(*2) ダブルチェーンコンベアー、オーバーチェーンコベアーなど。

③昭和34(1959)年に「スライシング採炭」を開始
「スライシング採炭」は、炭層を2枚の層に区分して上段の採炭より15~30m遅れて下段を採炭し、上段採炭のときに下盤に厚板を敷いて下段切羽の天盤とする採炭方法である。当時この採炭方法は道内では三菱大夕張炭砿など一部の炭鉱でしか実施されていなかった。この年以降、それまで約70%にとどまっていた炭層の実収率(実際に採炭できる割合)がほぼ100%になり、採炭効率が飛躍的に向上した。また、自然発火もほぼなくなった。

④昭和41(1966)年に「ホーベル採炭」を、昭和43(1968)年に「自走枠・ホーベル採炭」を開始
「ホーベル」は切削部を炭壁に押しつけながら往復させ、カンナをかけるように切削する高能率の機械である。「自走枠」(シ―ルド枠)は油圧鉄柱と「カッペ」が結合され、自動的に前進していく組立枠である。この「自走枠・ホーベル採炭」の開始により、長年の夢であった採炭の完全機械化が実現した。

羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑥「羽幌炭砿スキー部」

  • 「自走枠・ホーベル採炭」の切羽(昭和43年頃)
  • コールカッターにより炭壁を切削中の「スライシング採炭」の切羽(昭和35年頃)
  • カッペを天盤に設置中の切羽(昭和35年頃)

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