松方幸次郎と金子直吉
昭和35(1960)年、作家・藤本光城によって兵庫新聞社より刊行された「松方・金子物語」は、神戸から日本、そして世界へと雄飛した松方幸次郎と金子直吉という二人の偉大な経営者についてそれぞれの伝記を両者の関係を織り交ぜながら描いたノンフィクション物語である。奇しくも松方の没後10年、また辰己会が発足した時期に発行された。
藤本は著書の中で、平和時における英雄とは人間生活に役立つ立派な産業を興し、これを育て多くの人に職業を与える勇者をいうが、松方・金子両雄こそ"近代の英雄"であったと結んでいる。
両者は日本の興隆期である明治時代、先進国の技術を率先導入、国産化、また独自の技術開発など産業発展に自らの力で周囲の人材を結集して取り組み成功させた実業家であり、アメリカ、ソ連、英国、フランス、ドイツなど各国で個人として評価され信頼された人であったと述べている。
金子のアメリカ大使との船鉄交換交渉ぶりや板垣退助遺愛の刀を贈られる高知人としての生き方、また松方についてはその肖像画を描くブラングウィンやモネとの親愛なる交流、欧州の画家・画商に信頼された人物像から、いわゆる成金の金に飽かした蒐集とは全く趣を異にした松方の凄さも伝わってくるとしている。
また、松方と金子の親交について松方三郎(松方幸次郎の弟で後に兄幸次郎の養子となった)は、"傍若無人でワンマンで生涯を過ごし、人を人とも思わぬようなところもあった幸次郎が、金子さんだけには一目も二目も置いていたようだった。幸次郎の金子さんに対する敬愛の情は最後まで変わらなかった"と語っている。
松方と金子とはまるで違う環境で育っている。腕一本でたたき上げた、真に実力を持って築き上げた金子という実業家が松方にとっては一つの理想であったのだろう。
大正12(1923)年5月から6月に大阪朝日新聞に連載された「人物伝記」シリーズのうち、「財閥から見た神戸」にも松方と金子の親密な関係を以下のように描写している。
『神戸の財界に松方が最も意気投合せりと見られるのは鈴木商店の金子直吉だ。つかまえ処のないような松方も金子には打解けて見えるのは不思議を通り越して羨しい位だ。怪人怪人を知るといってもいいが、怪物怪物を知るといっても少しも差支がない。但し松方と金子との個人的握手は何でもないかも知れぬが、之が動機となって神戸の二大財閥たる鈴木商店と川崎とが、接近することは、或る場合関西の財界に驚異の一事でなければならぬ。財閥史から見た神戸にとっても無視することのできぬ一現象であらねばならぬ。二癖も三癖もある松方が、私交上対等的に手を握るものは、神戸で一つもないといって好い位だ。
(中略)然るにグレート鈴木をおんぶしている金子が、たった一ツの例外として現われたんだから殆ど千載の一遇という感じがする。アノ我儘な松方が金子のことといえば口を極めて褒めたてる。金子も松方のことといえば豪いと称揚する。傍の見る目も羨しい親善振だ。』