秋田(道川油田、院内油田、生保内乾溜事業)
秋田市を中心とする地域はかつて、新潟と並ぶ日本でも有数の油田地帯だった。
秋田県には最大の八橋油田(八橋・寺内地区)の他、八森油田(山本郡八森町)、黒川油田、桂銀油田(秋田市下浜桂銀)、羽川油田(下浜羽川)、旭川油田(秋田市濁川)、豊川油田(旧南秋田郡豊川村)、道川油田(南秋田郡)、道川鉱場(油田;由利郡)、院内油田(にかほ市院内)等々の油田が開発されたが、現在も稼働中の油田は、豊川、八橋、申川 (男鹿市)、福米沢(男鹿市)の4か所のみ。
大正6(1917)年、鈴木商店は石油事業に着手し、秋田地区の油田の経営に乗り出す。
東北石油および北宝石油組合の事業を20万円にて買収し、同付近に一大石油事業を興すべく精査開始した。(鈴木商店調査書)
大正7(1918)年8月に帝国石油、同年9月に出羽石油に出資し、それぞれの経営の実権を獲得する。さらに同年9月、高田商会系の秋田石油鉱業(南秋田郡&仙北郡鉱区約500万坪)を買収するも後に大日本石油鉱業と合併。
その後、帝国石油の経営陣に加わった瀬島猪之丞が設立した旭石油と帝国石油が合併して誕生した新生“旭石油(大正11(1922)年)の代表には松方幸次郎が、監査役には長崎英造が就任し石油事業に本格的に参入する。
なお秋田沿岸部での石油採掘事業とは別に鈴木商店は、田沢湖周辺の仙北地区で木材乾溜事業も手掛けた。