上水島(岡山県・倉敷市)

上水島より南方の無人島群を望む

瀬戸内海・水島灘の無人島にはかつて鈴木商店銅製錬所が操業されていた

岡山県倉敷市沖水島灘に浮かぶ上水島は、水島コンビナート沖1.5kmに浮かぶ周囲約2.25km,面積0.36㎢の無人島。水の豊富な島として知られ、水を求めて古くから船の寄港地として利用されていた。明治30年代初め粗銅の製錬が行われたが、その後鈴木商店に引き継がれ 明治36(1903)年、鈴木製錬所として本格的な銅製錬所が建設された。

大正4(1915)年には、従業員268人、社宅や売店などが設けられ、尋常小学校分校が開かれ島内は盛況となった。第一次世界大戦景気により銅価格の回復基調が見られたが、鈴木商店の非鉄金属製錬事業の新たな戦略から翌大正5(1916)年8月、鈴木製錬所は古河合名会社に売却された。

”古河合名・水島製錬所”と改称され、新たに買収した各地鉱山からの鉱石を送り込み操業を進めた。銅価格は大正6(1917)年にピークを迎えたが、第一次世界大戦が終息に向かうにつれ暴落、製錬所の採算が悪化したことから三菱鉱業との協調関係を深め、最盛期(大正末期)の島内人口は1,200人に達したものの、昭和3(1928)年水島製錬所は閉鎖された。

これに伴い製錬所従業員は、同島を離れたため居住者は激減、第二次世界大戦後、上水島は無人島となり今日に至っている。

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