米沢

人造繊維発祥の地、米沢

米沢は、江戸時代に藩主・上杉鷹山が産業振興として織物・養蚕の発展に力を入れ、また学問の普及に努めた地である。

日本初となる人造繊維の技術開発は、米沢高等工業学校(現・山形大学工学部)から開始され、大正7(1918)年に帝国人造絹糸(現・帝人)が設立された。これは大学発ベンチャーのさきがけであり、日本の化学繊維工業のはしりである。この偉業は米沢高等学校の教師であった秦逸三と大学の同窓であった久村清太による研究、そして鈴木商店・金子直吉の支援によって実現した。

現在の山形大学工学部内にある旧米沢高等工業学校本館には、秦逸三教授記念室がある。記念室内には、当時の実験器具が展示され、秦教授の研究や帝国人造絹糸設立迄の流れを学ぶことができる。

米沢の財界人は、人絹工場を誘致するため、金子直吉を招遷閣に招待し、旧館山製糸場の土地を無償提供することを申し入れた。この場所は、現在の米沢市立第三中学校にあたり、同中学校には、人絹の歴史や当時の様子を示したパネルが展示されている。また御成山公園(館山公園とも呼ばれる)には人繊工業発祥の碑があり、帝人の社長であった大屋晋三直筆の文字と碑の側面には大屋の言葉が刻まれている。現在の館山浄水場は元々工場への工業用水を供給するために設立されたものである。

松が岬公園では、大正7(1918)年、米沢人造絹糸製造所の開業式が盛大に開催された。また上杉神社の灯篭には奉納者として秦逸三の名が刻まれている。また米沢市上杉博物館には人絹研究に関するパネルが展示されている。

秦逸三の功績を伝えるため、よねざわ市民ミュージカル「Faith フェイス〜未来をつむぐ実験」が不定期にて開催され、米沢では、市長や米沢工業会をはじめ多くの市民によって人絹開発の歴史保存、普及活動が行われている。

わが街――鈴木商店とその時代

  • 米澤名勝 物産陳列場 大正6(1917)年
  • 米沢電話開通記念 明治40(1907)年
  • 米沢市南方全景 大正4(1915)年

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