台湾(中西部)
台湾中部の経済・文化の発信は、台中から周辺地域へ広がる
台湾中部は、阿里山脈、玉山山脈、中央山脈などを挟んで台湾中西部と台湾中東部に分かれている。台湾中西部には、「台中市」、「彰化県」、「雲林県」、「嘉義県」、「南投県」が、台湾中東部には、花蓮県が含まれる。
日本統治時代、地方行政区分として設けられた5州3庁の一つとして「台中庁」があった。現在の台中市、彰化県、南投県をあわせた区域であった。現在の「台中市」は、台湾中部の経済・文化の中心地であり、直轄地のひとつに指定されており、行政区画は29区から構成される。
「雲林県」は、1市5鎮14郷より構成され、県政府所在地は、雲林県の東端に位置する斗六市に置かれる。雲林県には、かつて斗六製糖(斗六市)、北港製糖・北港工場(北港鎮)が操業していた。
「嘉義県」は、北回帰線が通過する位置にあり、省轄市「嘉義市」を囲んで2市2鎮14郷から成る。県政府所在地は、太保市に置かれている。有名な観光地・阿里山森林レジャーエリアが阿里山郷にある。水上郷には、かつて南靖製糖所が存在した。また同県には原住民の鄒族が多く住む。
中東部のうち、「花蓮県」は、台湾最大の面積を占めるが、大部分が山岳地帯で中央山脈は3,000mを超える山脈が連なる。平地は僅か7%にすぎない。県政府所在地は「花蓮市」、日本統治時代には多くの日本人が入植した。塩水港製糖の2工場が操業していた。
台中・雲林・嘉義と鈴木商店
鈴木商店は明治43(1910)年北港製糖を設立した。台湾中部に位置する北港、月眉を製糖区域としたが、台南や高雄など台湾の南部の肥沃な製糖区域は台湾製糖、塩水港製糖、大日本製糖、明治製糖といった先発の製糖会社に押さえられていたからである。出遅れた鈴木商店がとった手段は買収・合併戦略であった。製糖区域が近い内地資本の東洋製糖、斗六製糖の株式を買収、役員を送り込み、これらの製糖会社を相次いで合併させた。こうして早くも大正4(1915)年には、新たに南靖、烏樹林、斗六、烏日の製糖区域を加えた新生・東洋製糖が誕生、前記四社と並んで「五大製糖会社」と称された。こののち鈴木商店の製糖事業は、台湾中部を拠点とし新竹、桃園、宜蘭へと北進していくことになる。
鈴木商店の出張所がおかれた嘉義は、阿里山森林鉄道の起点である。阿里山は良質のヒノキを産出することで知られ、鈴木商店にとっても重要な取扱品目の一つとなっていた。