台湾(南部)
“台湾の発祥地”として知られる古都「台南」は、多くの旧跡と現代的都市景観が併存
台湾6大直轄市の一つである「台南市」は、台湾で最も早くから開け、「台湾の発祥地」とも云われる。清朝初期の1661年、鄭成功により長くオランダ東インド会社による台湾統治の中心地であった台南および打狗(高雄)がオランダから解放されると、台南は政治、経済、文化の中心地として鄭氏三代にわたって栄えた。安平古堡は、台湾城とも呼ばれ、鄭王朝の居城の跡である。鄭成功は、日本人の血を引き、今なお民族的英雄として称えられている。
台南には、多くの旧跡と現代的な都市景観が併存し、日本統治時代には、「台湾の京都」とも呼ばれた。政治の表舞台は台北に移ったが、経済は当初は台南が中心で、徐々に台北 に変わって行った。今日の台南は、「台南小吃(たいなんしゃおちー)」と云われるグルメの町としても知られる。
「高雄市」は、台湾第二の都市。元々の地名は、「打狗(台湾読み“ターカウ”)」と呼ばれていた。台南と同様、1661年に鄭成功によりオランダより解放された後、貿易港として栄えた。日本統治時代に「高雄」に改称され、軍事的な事情から高雄の開発が進められた。
今日の高雄市は、加工貿易のための工業団地が建設され、重化学工業コンビナートが集積する台湾随一の工業都市として発展している。
高雄と鈴木商店
大正9(1920)年、それまでの地名「打狗」に「高雄」の字があてられる。高雄港は基隆港に次ぐ台湾第二の港湾である。台湾南部には大製糖会社が集中することから、台湾粗糖は主にこの港から積み出された。
鈴木商店はこの地に出張所を置いたほか、関係会社として高雄拓殖を設立している。また、大正7(1918)年には、地元の富豪陳中和より一万坪を借地し、神戸製鋼所の分工場として造船所を建設する計画を進めていたが実現をみなかった。陳中和一族の経営する新興製糖には、東洋製糖から石川昌次が経営に入っており、製品の販売は鈴木商店が担った。新興製糖は台湾炭業設立においても出資者となっている。